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Page No.23
◆ 中国の音楽事情 ◆
E023 掲載 2007/3/21
一週間という短い期間でしたが、先日中国へ出張する機会がありました。VIPというべき人も含めて10名ぐらいの人と会い、雑談の中で中国のクラシック音楽事情についての情報を少しばかり仕入れてきました。

中国のプロテスタントのキリスト教会で日常使われている讃美歌集です。
中国のプロテスタントのキリスト教会で日常使われている讃美歌集です。
本当に驚きました。まず左の本を見てください。これは中国のプロテスタントのキリスト教会で日常使われている讃美歌集です。装丁、造本、用紙がお粗末なのはさておくとして、五線譜が見当たらないのです。写真の右半分は讃美歌集の冒頭1番の歌詞と楽譜?です。歌詞の上にアラビア数字が一列書かれていますが、それが五線譜の代わりです。これでは細やかな表現はムリというものでしょう。聞くところによると五線譜は音楽のプロになる人達だけが勉強するそうです。讃美歌はオルガニストの演奏に引きずられながら歌うのでしょう。



私はある日、栄寶斎(右写真中央に看板)という中国古典書画や骨董を取り扱っている北京随一のギャラリーに行ってみました。北京のメインストリートで建設が進んでいるたくさん近代的なオフィス棟と比べると、栄寶斎の建物は狭くて古くて破損していてお粗末なのには驚くべきものがありました。

栄寶斎という中国古典書画や骨董では北京随一のギャラリー 栄寶斎という中国古典書画や骨董では北京随一のギャラリー
私の友人に作曲や編曲のプロの方がいますが、その方が研修プログラムを中国で行ったときも大変驚いたようです。その手記を引用してみましょう。

    選ばれしハイソな人々では無く、
    中国系のフツーの学校のセンセや音楽教師対象に研修をした時、
    ものすごく、そういった事を感じました。
    事前に組み立てていた1週間分の研修内容や、あれこれ段取りも、
    大幅に、その場その場・・で、変更しながら、
    毎日アタマ抱えた事も思い出します。
    超基本的な音楽の約束事からして、その当時は、通じなかった。
    もっとも ??
    その大半、否、すべて・・が西洋音楽に基ずく事柄なのだから、
    仕方無い事だったのですが
    ハーモニー・・という感覚が無かったり
    例えば「お辞儀」の3つの和音も判らない・・・とか、
    美しいと思うほうの旋律はどっち ?? っと問いかけると
    中国音階 - 日本の陽旋法 ( 四七抜き演歌) にも似たアレ
    を喜んで選んだりして (^_^;
    ですから、
    モーツァルトの曲の分析・・とか、
    フランス印象派の音楽はキラキラしていて美しいでしょ ?? なんて言っても、
    ・・ねぇ・・。

北京の中央テレビ局のディレクターをやっている人が言いましたが、「中国人の多くは貧しい農民なのだ。北京人のような都会人ではない。西洋古典音楽に触れる機会なんか全く無かった」。アンティーク・オルゴールの話をして、持参したCD(曲目はThe Last Rose of Summer 「庭の千草」、「夏の名残の薔薇」)を聞いてもらったときの、とあるVIP(最高学府で学び留学までしたエリート)の方の反応です。

    Q 「これは一体何を表現しているのですか? 
       もし鳩を表現しているのだったら音楽と同時に鳩の絵を画面に出してもらいたいですね。」
    A 「・・・・・・・。」  当初私にはこの質問の意味がわかりませんでした。

音楽というアートは具体的なイメージを持たない場合が多い極めて抽象的なもので鑑賞には直前のフレーズを記憶し、比較し、一瞬の内に評価するという能力(実用的には無駄な訓練が必要)が要求されます。彼らにとってはそのような訓練を受けていないのでアンティーク・オルゴールの音楽も犬の鳴声も大差は無いのでしょう。バッハのオルガン曲のような抽象美の極致なんて騒音に過ぎないのではないでしょうか。

中国では文化大革命の余燼がこのようなところでも燻り続けているのです。14億人もの人口を抱えている国だから、世界で通用する技巧を持った音楽家は結構な数が存在するようですが、その音楽家たちを鑑賞し育てる消費者が欠落しているのです。女子十二楽坊というグループが一瞬の間だけ日本で活躍していましたが、永く鑑賞されるところまでには到りませんでした。あれは音楽ではなくて、中国の古典音楽演奏の形を借りた中国雑技団だったのではないでしょうか。

とあるVIPの話ですが「オーストリアのウィーンで、永く伸ばして歌う歌を聴きました。」(これは通訳の翻訳です。) どうも「ウィーンフィル」というブランド名と「オペラ」という音楽専門用語の知識が欠落していたようです。私が「中国人達はクラシック音楽には興味がないようですね」つまり「中国人は教養が無いのね」と同義の挑発をぶつけて、激論を誘おうとしました。でも彼らにはそのような皮肉は全く通ぜず、話題は中央政治における交友関係や敵対関係のゴシップに流れて行きました。

中国は安物の工業製品を真似ることは出来るようになりました。それより以前には中国は世界のどこにも無いオリジナルの美の世界(唐代の古典絵画とか宮廷で演奏された古典音楽)を持っていました。そのようなアートを鑑賞しアーティストたちを育てる人々(文人)は今どこに行ってしまったのでしょうか。

文化を無視し、官僚の収賄、金持ちの贈賄、技術やデザインの盗用から成り立っている国は世界からの尊敬を得るのは困難でしょう。明治時代の日本政府が音楽取調掛という部署を作り、当時の第一級詩人たちを動員して音楽の輸入と普及に努めました。中国の文教を所管する政府の部門は100年前の明治政府のように、アート(含音楽)を教える教師を養成する教師を、養成することから始めなければならないでしょう。道遠し。

中国の一般の人々がアートを享受し、アーティストのオリジナリティーを尊敬するようになれば、きっと大中国の人達(14億人もいます)は世界の人々にこの世に存在しなかった素晴らしい「モノ」を創造して贈ることが出来るようになるでしょう。でも道は中国的に遠い、40年はかかるかな。

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